感慨深い・・?最後の勤務

平成8年(1996年)の勤務以来、途中2年位いったんやめていた時期もありましたが、20年以上勤務したアルバイト先の素材屋(しゃぶしゃぶの木曽路グループ)。

今年いっぱいの勤務ということで先週の日曜日が最後の勤務となりました。

実は27日が最後の勤務ということで出勤したところ、シフトがカットされていて、最後の勤務が急に訪れた形になりちょっと拍子抜け😵

「えっ?話が違うやん?一切連絡ないし」と思いながらも、前回店長への確認の電話後、短縮営業(時間)要請があったりでいろんな事情があったのだろうし、当の店長もいなかったのでもやもやした気持ちを切り替え、最後の勤務だと思って、お客様が数組の前半は感謝の思いで汚れの酷いドリンクまわりの大掃除に精を出し、勤務を終えました。

何だか、変な終わり方になっちゃったと思いながらお店を後にしたわけですが、思いおこせばまぁいろいろありました。

もともと、まだ20代の私が素材屋を選んだのは、募集雑誌の赤いポップなロゴ、そして明るく楽しそうな雰囲気に惹かれたからでした。

池袋店のオープンメンバー(1年位)のキッチンスタッフとして働き始め、その後は川口店のオープンメンバー(4年位)としてホール、キッチン両面で貢献。サブチーフとして時給も一番高い時期でした。😁景気の良さもあり、当時、素材屋は都内に20数店舗ありました。(現在は、な、なんとコロナの影響で、4店舗まで縮小😢)

その後、引っ越しをきっかけにいったん辞めながら、高田馬場店で復帰。8年くらい務めましたが閉店を機に、現在まで所属していた八重洲店に移動。

この頃になると、店長よりも年上であることから、お客さんにはよく「店長!」と呼ばれ間違えられることもしばしば・・・😅

八重洲店では、キッチンの刺身場(さしば)の職人上がりの年上の方(Sさん)と反りが合わず、ここ5年位?は、ヘルプ専門で東京駅前店を中心に流浪の民のような勤務でした。(Sさんのいない日曜日だけ八重洲店勤務、みたいな・・・)

20年以上の勤務で思い出はつきませんが、料理に対してほとんど興味もなかった私が、ちょっとでも知識や技術を身につけられたのは良かったなぁとは思いますし、俳優、声優の面から言えば発生練習になるだろうと元気出して声を出していました。と言いながら正直なところ声出しは、腹をすかせて賄いを美味しくいただくために、誰にも負けない声を張り上げていたように思います。『元気』だけが取り柄???😄の私でしたが、今となってはそんな日々を懐かしく感じます。

正直、コロナ禍で、5月以降ほとんどアルバイトには入っていませんでした。顔出し程度に秋以降数回勤務しただけ。おかげで、この半年で体重増も加速したような・・・😅

もういい歳だし、昼間の手話通訳の仕事を増やした方が収入がいいし、生活リズムも規則正しくなるだろう、等々の理由で、寂しい思いもありながら退職を選びました。

最後の勤務は前述のように半端な感じで終わってしまいましたが、改めて、

ありがとう!素材屋!!!😭  コロナで大変な飲食業界ですが陰ながら応援しています。

sadacchi について

俳優・声優・手話通訳などやっています。
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