手話のこと

 プロフィールにも書いたように、2007年に手話通訳士(厚生労働省認定)の資格を取得してから、手話(聴覚障害)絡みのお仕事が増えました。手話の仕事は、私にとって本業とは少し違った意味を持っています。少し触れておきます。

 手話に疎い次男坊

  両親がろうあ者(ろう者)だと手話は上手だろう! と多くの人は考えます。しかし、幼い頃の私は、次男坊の影響で積極的に手話を使いませんでした。生活上必要な簡単な単語は覚えましたが、筆談などでごまかし、込み入った話は両親とはしない。といった感じでした。

 兄が高校卒業後上京し、3人で暮らしていた3年間は、両親とのコミュニケーションだけでなく、文章を直したり、通訳を頼まれたりする中でイライラが募り、今まで自分がいかに兄任せにして生きて来たかを痛感する時間でした。

 ★参考までに

 私のように、聞こえない親から生まれた聞こえる子どもを「コーダ」と言います。コーダについて、知りたい方は→「コーダ(Coda=Children of Deaf Adults)」まで

親孝行で手話通訳?

 手話に関心のなかった私が本格的に通訳の勉強を始めたきっかけは、役者といったヤクザな?(不安定な)仕事を続け両親に心配をかけていることに対する罪意識からです。

 通訳を通して耳の聞こえない方のお役に立てれば、直接ではないにしろ間接的な親孝行になるんじゃないか?という気持ちが30代途中から芽生えたのです。その思いから、改めて基礎から学び始め、その後自分の住んでいる地域の登録手話通訳として活動することになりました。(現在は都合により登録通訳は辞めています)

やりがいのある仕事

 手話通訳士の資格取得がきっかけになり、幸運にも私は福祉番組に携わることができました。資格を取る以前からナレーション、ボイスオーバーでCS放送「目で聴くテレビ」に関わることができたのも幸運でしたが、その関わりがNHKへの番組にも繫がりました。昔からずっと両親が画面にかじり付くようにしてみていたNHKの福祉番組「ろうを生きる 難聴を生きる」(以前は「聴覚障害者の時間」)に、自分が司会、ボイスオーバー、ナレーションで関わることができていることは感慨ひとしおです。

 また、「劇団しゅわえもん」(ろう者劇団)のように、ろうの子どもとその親が一緒に楽しむことができる舞台に音声ガイドとして参加できていることも、自分としては大変嬉しく感じています。 

 正直なところ、俳優・声優を辞めずにここまで続けているのは、これらの仕事が自分を支えている(ある種の使命感?)からだとも言えます。

  以前、コーダの俳優、声優として、あるサークルで講演する機会に恵まれました。またNHKの番組でもコーダ対談で司会をする機会があり、最近はコーダであるということを意識する機会が増えたように思います。これからは自分なりにですが「コーダ」として外部に向けての発信もしていきたいと考えています。 

 「手話が分かる、ろう者の気持ちが分かる役者・声優」という自分の特徴を活かして、これからも聞こえない方々のお役に立ちたいと強く願っています。