コーダ(Coda)の映画監督

先日、コーダ(Coda)の映画監督が作った作品『きらめく拍手の音』の試写会に行ってきました。

この映画は、聞こえない両親とその家族のドキュメンタリー。

イギル・ボラ監督は韓国人の女性。

同じコーダ、同じアジア人

やっぱり映画を観ていて、とても親近感が湧きました。

まだまだメジャー?になれない「コーダ」という言葉や理解。まだ20代という若さ。映画監督として、これからの彼女の活躍を陰ながら応援したいと思いました。

6月10日から「ポレポレ東中野」で上映が始まります。「つつましくもいとおしいドキュメンタリー」(チラシより)

どうぞお時間がありましたら、彼女の描いたコーダの世界を映画を通して感じてみて下さい。

 

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今年のGW〜すずらん祭り

昨日は、ここ数年お世話になっている阿佐ヶ谷アートスペース・プロット(劇場)のオーナーの紹介で、阿佐ヶ谷の「すずらん通り商店街」主催の『すずらん祭り』に、占子の兎「お湯掛け女房」の音響スタッフとして参加してきました。

プログラムはこちら⇒suzurannfes

 

 

 

 

キッズダンスは、保護者も多く、たくさんの人だかり!

それ以降、芸人さんのショーになると、人もまばら。

コーナーを仕切っていた長井秀和さん、他MCの方も、お客さんが少ない中、めげずに進行していました。

 

 

 

 

 

当然、我々の時も人はまばら😓

でも、みんな頑張って声を張り上げ?て、演じていました!😭

ただ、今回はうちの団体にとっての初めての野外ライブ!!!

照明もない、お客様も予想できない状況でのテスト的な公演(2回)。今後、老人施設やイベントなど、照明がない現場での公演に向けてもその試金石の公演になると信じて、メンバー一同臨みました。

お客様の数は数えるほどでしたが、

見ている方には『好意的に受け入れてもらい、喜んでいただける!!!』という感覚は手に入れることができました。

『真面目に作り込んだものは人に伝わる』という確信。大切にしたい経験。

 

今年のGWはこの芝居の稽古中心でしたが、有意義なチャレンジだったと、終演後メンバーとお酒を酌み交わしました。

 

 

 

 

 

 

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やっぱ田舎はいいね〜

親父の四十九日法要のため、田舎に帰っていました。

高速バスで隣町の六日町ICで降り、ほくほく線で十日町に向かうため六日町駅までの道のりをぶらぶら30分弱歩いておりました。

田植えを待つ田んぼからはカエルの鳴き声〜♪が響き、遠く雪の残る山々を眺めながらのぶらり歩きは何と贅沢なことか。

錆びれた小さな橋の下を流れる小川に

♪ 春のうららの〜

と、口ずさみたくなる思いに駆られ、もう数週間早ければ、ふきのとうなど生えていたかな〜などと想像しながらぶらぶらと。

地元のオジさんの交わす方言にニヤ笑いしながら、

「やっぱ田舎はいいわ〜!」と癒される時間でした。

 

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お花見(つけ?)running

ランニングするのに最も自分が好きな季節。それは、🌸🌸🌸サクラの時期🌸🌸🌸

でも、年明けからお芝居や家庭のこと、仕事でほとんどランニングはできずにズルズルと・・・・・😖

サクラが散り始めた先日、「こりゃ、悲しすぎる!」と慌てて夜中に飛び出しました。いつもの多摩湖自転車道(グリーンロード?)と小金井公園。(2014年4月、2013年4月の記事などで触れてます)

 

 

 

 

 

 

何とか、花が残っていて「何とか間に合った!」😓と言いたいところですが、やはり「夜ではなく昼じゃなきゃ、いまいち!」と残念な気持ちを抱えたランニングとなってしまいました。

で、あれから5日経ってみると、

 

 

 

 

 

 

同じような場所で撮影しましたが、ここ数日の暖かさで一気にサクラが散ってしまいました。😰

とはいえ、小金井公園なら遅咲きサクラがまだあるだろう(ガイドページより⇒約80haの広大な園内には、ヤマザクラをはじめ、ソメイヨシノ、カスミザクラなど約50種、約1700本もの桜が植えられている。)と少し期待しながら、久々のランニングで疲れが残る重たい足で公園に向かいました。

というわけで、お花(サクラ)見runningと言いたいところですが、お花(サクラ)見つけrunnningといった感じ。

案の定。公園のサクラの大半を占める山桜は散っていましたが、

霞桜や写真の江戸桜?

そして枝垂桜(糸枝垂という名前)等がかろうじて・・・

 

 

 

 

 

 

 

でも、羨ましいと思ったのが、桜の木下で過ごすご夫婦(40〜50代に見えましたが)の姿。

風がそこそこあったので、時より隣のグラウンドの砂が舞っていたとは思いますがお構いなし。

愛する二人には関係ない?

サクラの木の下でゴロゴロ。

何とも平和で羨ましいな〜と思ってしまう午後でした。

 

 

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旅立ち

自分の考えもあって、これまでこのブログには愚痴や悲しい話題を載せずにきましたが、自分にとって大きな出来事なので、今回は特別に。

今月13日に親父が亡くなり、あの世へ旅立ちました。享年83歳

昨年6月にかなりステージの進んだ肝臓がんであることが分かり、手術もせず(できず)日々過ごしていました。時間も経ち、それなりの覚悟もしていたつもりでしたが、最後は入院から1週間も経たないうちにあっという間に逝ってしまいました。前日に親父を見舞い、東京に戻ってすぐの急な知らせだったこともあり、拍子抜けのような感じで少々驚きながら田舎にとんぼ返りしました。

最後の瞬間は立ち会えませんでしたが、亡くなる前日に母親を伴ってお見舞いできたのは本当に良かったと感じています。「親父が弱り始めた」という知らせを聞き東京から駆けつけ亡くなる前々日(土曜)に1人で親父と対面した時は、意識が遠のき始めた頃で、反応が全くありませんでした。

何とも残念な気持ちが残ったので予定を変え、次の日(日曜)もう一度対面してから東京に戻ることにしました。母親は火曜に見舞う予定でしたが私がいるうちに一度会わせようととっさに思い、母を伴い病院に向かいました。

意識が朦朧とする犬好きの父に繰り返し見せた動画の一部が

モモちゃん(♀)の動画。

目でモモの動きを追っていることが確認できたので、盲聾の母親と何度も話しかけました。

たまに痛いそうな表情をした時に「痛いやんか?我慢して。頑張れ!」と手話をすると、かすかに細かくうなずいているのが分かりました。また、「帰るね、バイバイ!」という手話にも僅かなうなずき。

間違えかどうか知りたくて、長い時間病室にいましたが、上の手話の質問には、2回、3回とうなずいてくれたので、会話できたことに安心して病室を離れました。

これが、母と私の、親父との最後の会話になりましたが、今にして思えば亡くなる前にこうやって僅かながらでも親父と気持ちを通じることができたのは幸いでした。

ここからは父との思い出話になりますが

小さい頃は、怖かったし、食事の時はいつも嫌いなおかずを私のご飯の上にのっけるのが嫌で、泣いたままご飯を食べないこともしばしば。その影響で小さい頃体が小さかったんじゃないかと思うくらいです。

まぁ、親父とは口をきかない、完全に「ママっ子」な私でした。

 

 

そんな親父との関係が変わってきたのが私が仙台の東北福祉大学に通うようになってからでしょうか?写真は両親が仙台に遊びに来たついでの東北旅行での一枚。平泉金色堂前。この頃はまだ母の目もそこそこ見えていました。

私が教師を辞め、役者の勉強で東京に上京して何年かはあまり田舎に戻りませんでしたが、さすがに親不孝をしている申し訳なさから、30歳半ば位からは盆、正月に田舎に帰ることが唯一の親孝行という感じでした。

そして、雪の心配のない、暖かい(暑い?)夏に、両親をドライブで連れて行くのがいつの間にか、恒例に。

母は目が見えないのでドライブはもっぱら親父の希望が優先。母は想い出作りに付いて来るといった感じでした。

過去のブログでも取り上げた、最初で最後になった、東京での、私が出演する舞台の鑑賞。(2015年5月の記事)

そして、両親の金婚式を祝う温泉家族旅行。(2015年11月の記事:兄とその娘(

姪っ子)は顔消してます)

親父がいなくなった今となっては、懐かしい思い出となりました。

元気な頃は、マイペースで好き勝手やり、揉め事が起きる度、我々兄弟がその仲裁のため苦労させられた親父でした。手話の問題もあったと思いますが、話しがうまく通じず、泣きながら説得したこともありました。そんな父でしたが、目の悪い母をサポートする姿は尊敬できる部分でした。

このホームページに、今まで「母にニュースを触手話で通訳する父の様子」をアップしていましたが、これからはその父がいないわけで、当然ながら残った母親が心配です。東京に暮らす私が心配したところで仕方がない部分もありますが・・・幸いなことに、葬儀の次の日の早朝もいつものように掃除をする姿がありました。掃除、洗濯の仕事に追われる綺麗好きな性格が幸いしているようです。

また不幸中の幸いですが、4月からの番組収録や他の仕事が重なる週より1週早く親父が亡くなったことで、亡骸に長い時間寄り添い、兄と思い出話をしたり、ゆっくりと親父を送ることができました。

小さい頃はホント嫌いだった父でしたが、ここ数年は「この両親だったからこそ、今の仕事ができているし、やりがいを感じることができるんだ」と感謝する場面が度々ありました。指文字も知らなかった私が親父と手話や指文字で会話する。自分の中にも、いくらかの感慨がありました。帰省する時の一つの楽しみだったかもしれません。そんな父がいなくなったのは寂しくも感じますが、感謝の思いがあるからこそ頑張らねば!とも思います。

長文でまとまりがなく恐縮ですが、親父を懐かしみ、じっくりと記事を噛み締めて書かせていただきました。

 

 

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公演『戀女房〜吉原火事』〜閉幕・後記

image2公演『戀女房〜吉原火事』が8日に幕を閉じて、5日が経ちました。ご来場していただきましたお客様をはじめ、ご協力いただきました関係者の皆様には、心からのお礼をこの場を借り申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。

_mg_8155毎公演満席!という、これまでの占子の兎(私が所属する今回の公演の企画集団)では、考えられない状況です。

が、
自分の中ではいろんな意味で反省ばかりの公演になり、ついにはこの3日間は風邪で体調も崩してしまいました。

とにかくこの反省を次ぎに活かすしかありませんが、身に染みて反省の日々です。

頑張ります!!!

 

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稽古も佳境!!!

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今週5日から『戀女房〜吉原火事』が始まります。

何とぞよろしくお願いします!

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